明治の偉人が愛した「沢見」。
由緒正しき歴史とともに、
新たな「暮らし」が始まる。
近代日本の礎を支える人材育成の地として、選ばれた「沢見」。
明治の偉人の先見性は、100年を経た現在、
北九州屈指の文教の地となり、
歴史と文化、豊かな自然が
静謐な街並を演出しています。
明治の偉人が愛した「沢見」。
由緒正しき歴史とともに、
新たな「暮らし」が始まる。
近代日本の礎を支える人材育成の地として、選ばれた「沢見」。
明治の偉人の先見性は、100年を経た現在、
北九州屈指の文教の地となり、
歴史と文化、豊かな自然が
静謐な街並を演出しています。
「有能高潔な人材を育成する」
学びの姿勢、今も変わらず。
九州工業大学は、北九州の財閥・安川 敬一郎氏、松本 健次郎氏の父子が「わが国工業教育の向上と北九州工業地帯発展のために」と巨額の私財を投じ、「明治専門学校」として開校されました。1909(明治42)年、東京帝国大学(現:東京大学)の総長を務めた山川健次郎氏の高い理想のもと、創立の精神は今日も脈々と受け継がれています。
また、隣接する明治学園は、明治専門学校に勤務する職員子弟のための学び舎として創設されました。学園に隣接する「松並木通り」は、教育施設と旧私邸を分けるために植えられたといいます。この松並木通りは、北九州市の都市景観賞を受賞しています。
時代を超えた美しさを現在(いま)に。
国指定重要文化財「西日本工業倶楽部(旧松本家住宅)」。
絵画的な建築様式の西日本工業倶楽部(旧松本家住宅)は、明治専門学校に尽力した松本健次郎氏の旧私邸です。明治後期から昭和初期にかけては、日夜多くの賓客を招いて宴が繰り広げられていました。第二次大戦までは松本氏の家族十数名と執事等が生活をしていましたが、戦後北九州財界人の集まりとして設立された"西日本工業倶楽部"が、松本氏から土地と建物を譲り受け、松本家住宅は倶楽部会館として利用されるようになりました。
邸内は、松本氏が国内外から集めた調度品や工芸品が数多く揃っています。アール・ヌーボー調の細部意匠に特徴がある洋館は、日本有数の華麗な洋館といわれており、建築技術の面から見ても極めて水準が高いものです。洋館と日本館は1972(昭和47)年に、蔵二棟は1982(昭和57)年に国の重要文化財に指定されました。建築的評価の高さはもとより、近年は結婚式の会場や映画撮影の場としての需要も高まっています。
※掲載の環境写真は2019年7月時点に撮影したものです。
※掲載の情報は2019年10月時点のもので変更になる場合があります。
※明治専門学校附属小学校〈学生雪中運動(大正末)・学寮自習室(大正末)〉、明治専門学校(大正末)、明治専門学校、九州工業大学の写真は©アソシエ地図の資料館より提供
※安川敬一郎氏と松本健次郎氏の写真は明治学園所蔵。